私にしかできない仕事

というものがこの世にあると思ってたし、それを求めていた。それをすることによって自分がかけがえのない存在になれて、存在意義が生まれるのだと思っていた。でもそんなのは幻想で。自分にしかできない仕事なんて、原理的にこの世にまだ存在するはずがないし、自分がいなくなった時点でその仕事ができなくなるならそれは仕事として成立しない。だってこまるじゃん。代替可能性があるから仕事なのだ。それに気づかず、自分にしかできない仕事をしてかけがえのない存在になりたいなどと人前でのたまってた自分はなんて幼くて夢見がちなバカ女だったのだろう。かけがえのなさが自分の存在価値を担保するのではない。誰にもできるけど誰かがやらなきゃいけない「雪かき的仕事」を黙ってやることでだって世界は少し変わる。世界に必要とされている。世界に何の影響も与えなくたって本当は別にいいのだけれど。
仕事によるかけがえのなさを手に入れることを諦めた私は、今度は子どもを産むことによって子どもという一つの世界に絶対的な影響を及ぼす女王になることを画策している。だって子どもは私に存在価値を与える決定的な存在だから。私がいなければ生きていけない存在。それを私はずっと求めていた。でも、手に入らなかった。手に入らなければ生めばいい。なんて恐ろしい思考。でも、世の多くの女性が、この『子ども→絶対者→かけがえのなさ→存在価値』の図式を求めているのではないだろうか。