正気に戻った

やっぱり旦那さんが一番だった。
いろんな人に会うのはすごく面白くて、刺激的で、素晴らしいと思える人はいっぱいいるけど、いろんな人に会えば会うほど、こんなに相性が良くて分かり合える人は旦那さんしかいないこともハッキリ分かってくる。
よかった。この人と結婚して。

恋の始まりはいつだって楽しい

メールが彼からだったらいいなとドキドキしたり、どこかで偶然出会えることを夢見たり、次に会える日を待ちわびたり、言われた一言ひとことを思い出して意味を探ってみたり、何か「自分を好きなんじゃないか」と思える言葉を探して妄想したりする。
満ち足りて安定感のある結婚生活は幸せで手放したくないけど、恋の始まりの新鮮なドキドキは、そこじゃ味わえない。
自分の側に余裕があるから、積極的になれる。その分面白い!

恋しちゃいそう

なんて、本当に久しぶりに言われた。
そのくらいのことで、こんなに気になるようになるなんて、驚いた。
5歳も年下の彼。まだ子供だけど、それを自覚して懸命に大人になろうとしてる。
優しくて、分をわきまえていて、人の気を悪くしたりしない。自分の言ったことに自覚的で、相手にどう受け取られるか考えることができる。人に気を遣わせずにみんなを誘うことができる。
ちょっとカッコつけたりするところが子供で可愛い。
いい子だなぁ、って思う。

お互いに特別になってみたいな。
大火事にはなりたくないけど、火傷くらいならしてみたい。

幼かった自分へ

一年前の11月、私は、マンネリ化した仕事に辟易しながら、あまりにも相性のいい恋人に夢中だった。結婚式のことばかり考えていた。
二年前の11月、私は久々の恋人の出現に浮かれていた。6年付き合った元カノと別れさせ、浮かれポンチになっていた。
三年前の11月、私はよく泣いていた。恋愛のれの字もない仕事漬けの毎日、深夜に自宅への帰路をトボトボと涙を湛えて歩きながら、人生について考えていた。
四年前の11月、私は腐っていた。来春入る会社でのバイトとダンスのレッスンという、一見まっとうな時の過ごし方を盾に、無為な時間を過ごしていた。
五年前の11月、私は苦しんでいた。人を動かすという大仕事がどうしてもうまくできず、自信をなくし、いつも逃げたかった。甘えさせてくれる人に逃げることばかり考えていた。
六年前の11月、私はようやく前の恋から抜け出した。時々会える先輩に心をときめかせながら、自信に満ちた楽しい日々を送っていた。
七年前の11月、私は焦がれていた。自分より遥かに高みにいる人にどうにかして追いつきたくて、いつも焦燥感に駆られ、緊張していた。大きな声で話すのが怖かったし、好きなものには高尚な理由が必要だと思っていた。
八年前の11月、私は困っていた。好きだと思っていた先輩を下に見る気持ちしか起きず、冷たい別れをしてしまった。

今年の11月、私は幸せのど真ん中にいた。仕事も順調、評価も上々、自分のやるべきことが見え、貢献していることが感じられていた。愛する人が自分を一番に愛し、これからの人生には素晴らしいことばかりがあると、そう確信していた。
今も、その確信は変わらない。自分を愛し、一生を共にする覚悟を決めてくれた人がただ一人いるというのは、なんて心強く幸せなことなんだろう。友達との違い、それは一生共に生きていく覚悟。その約束は何にも変え難く、力強い。
満ち足りたこの気持ちを、若き日の若すぎる自分に教えてあげたい。

ひとりしぐる

本当の本当に相性がいい人っているんだな、と、こういうのを人は「運命の人」と言うんだな、と、本当にそう思う。性格はもちろんだけど、話の仕方や他人との関わり方や、今まで生きてきた人生やこれからについての考え方。得意なものや私にしてくれること。ぜんぶすき。全部いいなって思う。
「どこが好きなの?」って聞かれたら答えはたくさんありすぎて分からないけど、「相性がいい」ってことだけは自信満々に言える。

また組織変更

何を言っても、正しい反論がされてしまう。私にも落ち度があることが分かっているし、それ以上に、完璧な働きぶりというものが存在しない以上、正しさの前に個人は無力だ。
正義をもって反論されることが分かっている以上、粛々と従うしかない。
損な性格。

多分あの人に私はやる気がないと思われているし、実際そう見られる心当たりはあるし、あの人とやってるとやる気が失せるからいいんだけどね。
普通どうなのかな?反論すればいいのかな?めんどくさいな。

自分の扱われ方に対して理不尽を感じるし腹が立つ。
ふてくされてもやめてもいいけど、結局自分への評価が下がったり傷ついたりするだけだから、責任は自分しか取れないから。
やだな。やめたいな。